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なぜ整形は悪なのか

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会社の同僚と昼食を食べているときにこんな会話があった。

○○くん「韓国人女性は美人が多くていいですねー」
△△さん「えー、でも、韓国人の美人ってみんな整形してるよー」
○○くん「いいことじゃないですかー。だって△△さんだって歯の矯正してたじゃないですか」

ここから「整形は是か否か」なんて言う面倒な議論を平日の昼間に続ける気力はボクを含めて同席者の誰一人いなく、その場は流れていったんだけど、これってけっこう面白い議題だと思う。

たとえば会社に入ると「化粧することは女性としてのマナー」なんてことが言われたりする。化粧をすることはいいとか悪いを越えて “義務” なのだ。“外見を良く見せようとする行為” 自体は肯定されている。「親からもらった体にメスを入れるなんて……」ってセリフもたまに聞くが、それを言ったら○○くんの言うとおり歯の矯正だって、正常な歯を間引いたりすることもざらで似たようなもんだ。

自分のボーダーを考えてみると、「一重を二重にする」くらいは気にならないが、「目尻の切開」ぐらいから拒否反応があり「あごを削る」とか「鼻を高くする」とかまで来るとだいぶ嫌悪感が出てくる。気軽か重大かが分かれ目なのだろうか? 「あごを削る」ぐらい本腰を入れて整形すると、外見への執着心とかが透けてきて醜く映るのだろうか? しかし「化粧やエステに本気な人」に対しては嫌悪感はない。

そんなときに Engadget: 言葉から連想して表情を変えるロボ、不気味の谷底に到達(グロ注意)を見て、あまりきの気持ち悪さに爆笑して気づいた。もしかしたら整形への拒否反応は “不気味の谷” なのかもしれない。

不気味の谷についてはWikipediaが詳しいが、「ロボットの人間との類似度」と「そのロボットに対する人間の好感度」は通常は比例するものの、“人間にきわめて近い” ロボットになったとたんに、好感度が谷底のように急落する現象だ。工業用ロボットに比べてASIMOなんかだと人間的特徴に目が行って親近感が生まれる一方、上記のKANSEIぐらい人間に近づくと、逆に非人間的特徴に目が行って「目の焦点が合ってなくて怖い……」とか気味の悪さを感じてしまう。死体が怖く感じるのも、あの「なにかが普通と違うオーラ」だろう。

マイケル・ジャクソンを思い出してみよう。(彼本人は整形していないと言っているが)彼の顔はどう考えても不自然であり、そこに「人間っぽいんだけどなんか違う」という不気味の谷を感じているのではないだろうか。化粧は「明らかに人工物であり、それが化粧だと見ているほうも認識している」から気味悪く感じないが、あごや鼻の整形は「なんか不自然……」というのが不気味の谷なのではないだろうか。つまり、整形という人外のものになっていく行為(人外のものになってまでの外見への執着心)に拒否反応があるのではないだろうか。

ちなみに、不気味の谷という概念が正しいかどうかの最大の懸念は「完全に人間と同じロボット」に対して好感度が再び戻るかどうかなんだけど(谷じゃなくて不気味の崖なんじゃないか?ってこと)、この辺はフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(ブレードランナー)』の話になってきちゃって、あと5倍ぐらい書かないとまとまらないんでパス。とりあえず、手塚治虫『火の鳥』読み直して、ロビタを考えながら今日はおしまい。


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